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zoom RSS 明治43年水害の慰霊碑(鳴子温泉鬼首)

<<   作成日時 : 2009/05/17 00:09   >>

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明治43年(1910年)の水害は関東・東北全域に大きな被害をもたらしたと
伝えられていて鳴子、川渡、鬼首地区(現在の大崎市鳴子温泉)でも水害
の犠牲者は133名という大災害でした。

鳴子温泉鬼首の吹上高原にある慰霊碑
水害慰霊碑


水害慰霊碑



慰霊碑の脇に慰霊碑の謂(いわれ)という説明板がありますので原文通り
転載します。
慰霊碑の謂

1910年(明治43年)8月11日夜半、豪雨によってこの地の東方
吹上沢上流で山津波が発生し、当時の宮城県大林区署の官行
製炭事業の従業員23名が宿舎もろとも濁流に押し流され殉職
された。

この殉職者の霊を慰めるため同年11月11日宮城県大林区職員
一同が浄財をもって慰霊碑を建立され。遺族並びに地元の人々
によって今でも供養が行われ、林業に携わった先達の顕彰を
永く後世に伝えている。 
平成11年8月11日 宮城北部森林管理署


「江合川砂防五十年のあゆみ」(江合川砂防五十年のあゆみ編集委員会編)
によれば当時中山平温泉元蛇の湯(松本旅館)は大谷川の対岸にあり山崩れ
で流されてしまい79名がこれにのまれてしまったとあります。

現在、元蛇の湯は廃業となり現在は解体工事が仙台の業者により行われ
ており、手許に上記の本以外に資料がないため詳細はわかりません。

明治43年水害前の蛇の湯全景 「江合川砂防五十年のあゆみ」より転載
画像


元蛇の湯より大谷川対岸を撮影
画像


中山平温泉では旅館組合や観光協会が中心となり100回忌の法要を行う
予定と伝え聞いていますのでこの機会に鳴子温泉の古い史料などを訪ね
歩いて探していますがなかなかありませんね。

少しでも正しい史実を記録していかないといつのまにか間違ったことが歴史
となる可能性もあるのではと思っています。

私自身の疑問もいくつかあります。
早稲田湯を掘り当てたのは本当に学生なのだろうか?という疑問です。
実際に掘削したのは業者であり学生はその手伝いだったのではと思ったり。

湯守という言葉だけが一人歩きして宣伝文句として使われているし・・・
スキーの歴史を語るのに忘れてならない故人のことがどこかに追いやられて
いるような感じもしています。

旅館が廃業となったり、経営者が変わったりして鳴子温泉の歴史が一つ一つ
消えていく時代に無駄なことをしているのかも知れません。

温故知新・・・


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
水害についてくわしく書かれていて大変参考にさせて頂きました。唐突ですが私の親族が亡くなっているらしいのですがインターネットで探してもあまり資料が無いのでとても助かりました。

2009/08/06 12:43
丸 様
はじめまして、コメントありがとうございます。
明治時代の水害ということもあり詳しい資料が見つかりませんでした。百回忌慰霊祭が8月8日午前11時より元蛇の湯においておこなわれます。
Yashiro
2009/08/06 20:00

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