馬耳湯風(ばじとうふう)

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zoom RSS 宮城県鳴子温泉と馬について

<<   作成日時 : 2010/01/27 20:58   >>

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かつて大崎市鳴子温泉は馬とかかわりながらその歴史を刻んできました。

鳴子温泉早坂牧場
大崎市鳴子温泉 早坂牧場

ハイフレンドトビンの2009
ハイフレンドトビンの2009/早坂牧場(2010年1月27日撮影)


慶長18年(1613年)伊達政宗が支倉常長をローマに遣わした際にアラブ馬を持ち込んだと
言われており、当時馬はご禁制だったため鳴子の奥地である鬼首で隠しながら生産した
とされています。

その馬の子孫は明治天皇の御料馬「金華山号」大正天皇献上馬「玉鳴号」皇室献上馬の
「温烈号」という明治大正時代の名馬になりました。


金華山号像(木彫り 後藤貞行作)
金華山号
鳴子温泉鬼首 荒雄川神社例大祭ご開帳時撮影
荒雄川神社
http://www.panoramio.com/photo/25606843

玉鳴号像
画像
みちのく精水工場所蔵


現在「玉鳴号」は生産者の遊佐家が製造販売している「天然温泉水」の名前として
親しまれています。

天然アルカリイオン温泉水「玉鳴号」
http://www.naruko.jpn.org/tamanarugo/
http://www.naruko.jpn.org/tamanarugo/

また、馬術の名手でありオリンピック馬術競技に選手監督として出場し「遊佐馬術」と
いう本も著している遊佐幸平氏も鳴子生まれです。(昭和32年鳴子町名誉町民第一号)

遊佐馬術



幸平閣下(鳴子ではこのような愛称で呼ばれています)は小さい頃学校から帰るとすぐに
馬と遊んでばかりいて馬乗りにかけては大人顔負けだったという話を聞きました。

そしてこの遊んでいた馬というのが「玉鳴号」の母馬だったそうです。

こうした古くからの馬産地である鳴子では川渡温泉で馬市がありその期間はセリに参加
する人達で大層賑わったそうですが、今はその馬市も廃止になり、競走馬の生産も写真
の早坂牧場さんの他数件だけになってしまいました。
斉藤牧場
http://yukemuri.at.webry.info/200710/article_1.html

農業の農耕馬としてだけではなく林業でも山から伐採した木の運搬に馬そりが使われて
いました。

奥の細道で芭蕉が詠んだ「蚤虱 馬の尿する 枕元 」という俳句はこの地域が馬と共に
一つ屋根で生活していたことに対する芭蕉のカルチャーショックが詠ませたのではと推測
しています。
芭蕉句碑
http://www.panoramio.com/photo/25453844

1955年の映画「幻の馬」に出演した騎手一郎役の遊佐晃彦氏も鳴子出身です。

ブログ馬耳湯風がお馬さんのことを書き出すと止まらなくなるのでこのへんで・・・m(__)m

幻の馬(レース前夜)

http://youtu.be/xgvH-JWg0kA


幻の馬(ダービー当日)

http://youtu.be/g6DWIeiDFXU

私にとっては1999年12月19日阪神競馬場そして2005年6月12日。。。







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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
いつも拝見させていただいております。
郷愁を誘うような画像ばかりでしばし見入ってしまいます。
道路では後方に気をつけてください

今回は馬のお話をして下さっていて、お詳しいようですので
もしも温泉石神社の参道にある「馬櫪神」の由来をご存知でしたら
教えていただけないでしょうか?
藤嶋吉郎右衛門
2010/01/28 13:48
はじめまして、コメント投稿ありがとうございます。
川渡温泉にある温泉石神社の馬櫪神(ばれきしん、ばれきじん)は資料によると嘉永7年となっています。
建立者は吉良右エ門他17名の名が刻まれているようです。

馬櫪神は馬の守護神として馬産地に多く残っているようですから温泉石神社の場合もこの地域が嘉永7年(1854年)の江戸時代の頃から馬産地であった証と言えると思います。

浅学非才の身でありますので一般論的なことしかお答えできず誠に申し訳ございません。
詳細な川渡温泉石神社の由来につきましては温泉石神社の宮司さんに問い合わせしてこのコメント欄にて後日お返事したいと思います。
おそれおおくも川渡温泉の湯守であった方と同じ名前の方への返信は大変緊張致しました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
Yashiro
2010/01/28 21:46
おそれおおいなんてとんでもございません
お忙しいところ早速のお返事を感謝いたします。
名乗っただけで出自を当てるとはすごいですね、さすがです。
やはりyashiroさんは郷土になくてはならない人材です
馬櫪神についてはこれまで存在をしらなかったのですが、
詳細を教えていただいてありがとうございます。
川渡の地と馬生産の歴史的な縁がよく理解できました。
温泉石神社に関する文献は「続日本後記」の記事が最古と
されていて、これ以前の文献が今のところないと思われます。
温泉石神社は石と温泉の神社で、拝殿がなくとも山など
の自然物を対象とした神社は他の地方にも見られるようです。
安永弐年(1773年)十月に大口村肝煎の遊佐久兵衛は「石神社書出」に

一 石神 但当時御宮無座候 鳥居斗り 当村御百姓湯守治左衛
門田地之内ニ御立被成置候ニ付同人持前ニ御座候 御身体廻り弐
丈余尺之大石御座候 祭日三月廿十二日七月廿十二日 一村之者
共鎮守ニ仕参詣仕候ニ付往古治左衛門先祖御地頭様へ願申上岩出
山○御足軽衆両人御村○組頭両人被相付警固仕候事
(○は変換できませんでした。斗か而の異字体じゃないかと思います。)

と記述しておりまして、当時は拝殿がなくて石と鳥居だけであったことがうかがわれるのです。いずれにせよ神社の建立と開湯は相関があるのですが、だれがいつどうやって石の裂け目から湯が湧出するのを発見し、それを朝廷に報告したのかがわからないのです。はっきりしているのは神社や古墳(梅の木)の存在が、この地が蝦夷でなく朝廷の支配領域内であることを示しているということです。延喜式に登載されるということは遠隔の地であってもそれなりに中央より重要視されていたことでしょう。
あの、一度メールさせていただいてもよろしいでしょうか?


藤嶋吉郎右衛門
2010/01/29 15:51
こんばんは。
「続日本後記」の件大変興味深く拝見致しました。
メールの件、もちろん大丈夫です。このブログの右側に私宛の「メール」を表示していますのでよろしくお願いします。
尚、温泉石神社参道の馬櫪神写真が下記URLにございますのでご参照ください。
http://www.narukospa.com/img/bareki-1.jpg
Yashiro
2010/01/29 22:50
 鳴子は馬が名産だと明治生まれの祖父と大正生まれの祖母が 
言っていたのを思い出しました。
あのお水の≪玉鳴号≫ が こういった歴史から生まれたとは・・・
馬は優しい目をしていて 好きです♪
記事の牧場とは違うのでしょうが 鳴子へ向かう道すがら、馬を見かけることも多いですものね♪ (降りて近づくわけにはイカナイですが・・・)
ぱせり
2010/02/01 08:34
ぱせり 様
コメントありがとうございます。
優しい目をした馬のように「玉鳴号」も優しい水です。

> 鳴子へ向かう道すがら、
池月の道の駅近くでしょうか?
この付近もかつて馬産地でJRAの最優秀アラブ馬(1955年)に選ばれた「タツトモ」という馬はこの地で生産されました。
Yashiro
2010/02/01 09:04
こんにちは〜、おひさしぶりです。

馬が好きなので、鳴子へ行く時はいつも居ないかな?と
きょろきょろしてました。
見つけるとうれしかったです。
(葦毛も居るんですね・・・)
まめ
2010/02/21 17:35
こんばんは、ご無沙汰しています。
鳴子では年々馬が少なくなってきてしまいました。
競馬場に出かけて馬を眺めたくなる時もありますが宮城県には無いので少し寂しい気分ですね。
温泉は昔と変わらず元気に出ていますのでどうぞまたいらしてください。
Yashiro
2010/02/22 00:21

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