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zoom RSS 鳴子町史における年代の不一致(鳴子温泉の歴史)

<<   作成日時 : 2010/03/31 10:34   >>

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鳴子町史下巻の397ページに記載されている年代は誤り(校正ミス)と思っていますが
インターネット上ではこの年代が記載されているサイトもあるので混乱しています。

鳴子町史 下巻 (昭和53年12月20日発行)
第一章 鳴子温泉の概況
(五行目より)
温泉神社縁起(啼子之碑)によると「仁明天皇承和二年四月、鳥谷ケ森村鳴動すること
数日、為に山嶽崩壊して熱泉頻りに迸出せしかば−」とあるから、(以下略)


鳴子町史を原文通りに引用したが、この「仁明天皇承和二年四月」は誤記ではないか
と思います。

なぜなら鳴子温泉神社の境内にある温泉神社縁起には下記のように刻まれています。

延喜式内社 温泉神社縁起
 温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。
「仁明天皇の御代、承和四年(八三七)四月、鳥谷ケ森にわかに
鳴動すること数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となって流れた。
(以下略)


温泉神社縁起
温泉神社縁起石碑


温泉神社境内
温泉神社境内

また、鳴子町史上巻の286ページにも下記のように記載されています。

鳴子町史 上巻 (昭和49年5月20日発行)
第六章 温泉
第一節 総説
玉造の湯 玉造温泉に関する記事が国史上にはじめてあらわれるのは、『続日本後記』
の承和四年(837)四月戊申(十六日)の条である。


よって私は鳴子温泉の歴史において「承和四年」という年代を一つの基準として捉えて
先日のブログにも書いています。
続日本後記と鳴子温泉の歴史
http://yukemuri.at.webry.info/201003/article_8.html

ただ、「承和二年」がインターネット上において鳴子温泉の様々な公式サイトに書かれて
いることもあり、私は混乱するばかりです。

鳴子温泉旅館組合



東鳴子温泉観光協会








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