今はもう誰も・・・鳴子三角山ジャンプ台

かつて冬になると毎日のようにこの場所に来ていた時がありました。

初めて来たのは昭和38年(1963年)の第18回国体スキーが開催された時
に観客としてジャンプ見物でした。

その後この三角山ジャンプ台は昭和59年(1984年)に開催された全国高等
学校(インターハイ)スキー大会の前年ぐらいに宮城県が改修工事を行い
70m級ジャンプ台として現在の形になりました。

三角山ジャンプ台



三角山ジャンプ台



この時からスキー大会の雑用係の日々が始まりました(笑)
初めて経験する全国大会は無我夢中で雪踏みやら弁当運び等の各種雑用係。
当時は携帯電話もパソコンもなく、大会準備や運営は人海戦術に頼るしか
ない時代でした。

平成6年(1994年)に第49回鳴子国体スキーが開催された時には審判台が
新たに作られましたがこの時は大会前に入院してしまい無念のリタイア・・・

また、鳴子ではインカレスキーも数多く開催されましたが資料もなく記憶も
定かでなく、国体の開催年だけはようやく日体協のサイトから見つけました。

日本体育協会 過去大会の概要/国民体育大会
http://www.japan-sports.or.jp/kokutai/archive.html

スキー競技の資料やデータベースはインターネット上に少ないなあという気が
しましたね。
まとまっていると感じたのは新潟県スキー連盟の公式サイトにある新潟スキー
98年史ぐらいでした。

新潟県スキー連盟
http://www7.ocn.ne.jp/~nsa/


あれから久々の三角山は人影もなく、ただ雪に埋もれてしまい風速計だけが
まわっていました。

三角山ジャンプ台








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