続日本後記と鳴子温泉の歴史

「続日本後紀(しょくにほんこうき)」は、朝廷が編纂した歴史書で833年から
850年までの出来事が記されています。
この続日本後紀の承和四年(837年)に下記のように書かれていることから
この年が鳴子温泉の始まりとされています。

玉造塞の温泉石神、雷響き振い、昼夜止まず。温泉河に流れてその色漿の如し。
加うるに以って山焼け谷塞がり、石崩れ木を折る。更に新沼を作る。沸声雷の如し。
此の如き奇怪、勝げて計うべからず。よって国司に仰して災異を鎮守し夷狄を教致
せしむ。


承和四年に爆発が起きて温泉が川に流れ込み、さらに新沼ができた→現在の潟沼と
思われます。

潟沼
潟沼



私が最も注視した語句は「玉造塞の温泉石神」です。

この爆発以前に「温泉石神(ゆのいしかみ)」が存在していたと考えられます。
「玉造塞」は蝦夷の侵入を阻止する目的で延暦七年(788年)に現在の川渡温泉
玉ノ木付近に設置したとされています。

「玉造塞の温泉石神」と朝廷の記録文書に書かれているのは既に「温泉石神」は
存在していた、つまり温泉も承和四年の爆発以前に湧出していたということになると
思います。

温泉が湧き出た後に川渡温泉の「温泉石神社」と鳴子温泉の「温泉神社」の二つを
祀ったという説もありますが、それならば「玉造塞の温泉石神」とは最初に書かない
のではないでしょうか?

「鳴子町史下巻」には温泉神社は承和四年建立の延喜式内神社、温泉石神社は承和
十年建立の延喜式内神社と書かれていますが、私の推論は温泉石神は玉造塞の近く
にあった川渡の「温泉石神社」であり、爆発の際に「災異を鎮守」する目的で建てられた
のが鳴子温泉湯元にある「温泉神社」だと思います。

つまり私の推論では鳴子温泉は承和四年に初めて文献に出てきますがそれ以前から
温泉は湧出していた。
さらに玉造塞という軍事拠点にいた兵隊は常時この塞の周辺に居住し農耕を業として
おり農作業の際に温泉の湧出を見つけたために「温泉石神」を祀っていたのではない
でしょうか?

とすれば鳴子温泉の始まりは承和四年(837年)ではなく玉造塞が設置された延暦七年
(788年)以前から湧出していたと思います。

潟沼は鳴子温泉の源の一つではあると思いますが、潟沼だけでは鳴子温泉の成因を
説明できませんから、川渡や鬼首には自然に湧出している場所が存在していたのでは
ないでしょうか?

素人故にこういう推論をブログに書いていますが、もし誤りがありましたらメールでも結構
ですから教えていただければ幸いです。


温泉神社/2010年3月18日撮影
温泉神社


温泉石神社/2010年3月18日撮影
温泉石神社


潟沼/2010年3月18日撮影
潟沼







"続日本後記と鳴子温泉の歴史" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント